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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)1636号 判決 1961年12月08日

原告 山岡董 外一名

被告 有限会社木口工業所 外一名

主文

被告らは各自原告らに対し各金二五〇、〇〇〇円およびそれぞれこれに対する昭和三四年三月一三日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告らの負担とする。

この判決は原告ら勝訴の部分に限りそれぞれ仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告らは各自原告らに対し各金一、一二〇、〇〇〇円およびそれぞれこれに対する昭和三四年三月一三日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として

一、被告富沢良光は、被告会社に雇われて自動三輪車運転の業務に従事していた者であるが、昭和三三年一一月二六日午後六時二〇分頃被告会社の指示により、その業務の遂行として同会社所有の自動三輪車を運転して東京都葛飾区堀切町一九一番地先道路を四ツ木橋方面から下千葉方面に向かつて進行中、折から右道路を横断しようとした山岡光雄(昭和二二年一〇月一二日生)にその車体を衝突させ同人に脳挫傷の傷害を負わせ、よつて同月二九日同区堀切町一九〇番地葛飾民衆病院において同人を死亡させた。

二、しかして、右事故発生の地点は、見透しの利く直線道路で、歩道と車道の区別があり、車道は巾員約一一米のアスハルト舗装道路であり、左右の各歩道は巾員各約三米五〇糎で車道より約一四糎高い道路であるところ、被告富沢は右自動三輪車を運転し、その車体中心を進路左側歩道の縁から約一米五〇糎離して時速約三二粁(制限速度)で進行中、進行方向左側歩道より光雄を含む数名の小学生が道路を横断しようとするのを約六米後方において認めたのであるが、かかる場合、自動車運転者としては、同人らが横断を続けることにより如何なる危険を惹起するかもしれないのであるから、その挙動に細心の注意を払い、直ちに警笛を吹鳴してその注意を喚起し、また何時でも急停車できるよう減速の措置を講じ、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、その動静の注視を怠り光雄らがその場に停止または後退するものと軽信し、なんら前記措置を講ずることなく慢然直進したために、進路上に横断を継続していた光雄に至近距離に接近するに及んで慌てて右側にハンドルを切つたが間に合わず、同人に自動三輪車の車体を接触せしめて本件事故を招来したのである。

三、以上のとおり、光雄の死は、被告富沢が自動三輪車の運転中に運転者としての注意義務を怠つたことに基因し、また被告会社が右三輪車の保有者としてこれを運行の用に供した際、その運行によつて惹起されたわけであるから、被告富沢は民法第七〇九条により、また被告会社は同法第七一五条及び自動車損害賠償保障法第三条に基き、各自光雄の死によつて発生した下記の損害を賠償する責任がある。

四、損害額

(一)  光雄の喪失した得べかりし利益

光雄は、原告山岡董同きよの三男であつて、事故当時小学校六年在学の満一一歳一ケ月余の健康体の男子で、本件事故がなければ、少くともなお五四、五一年の全国平均余命があり、満二〇歳から四〇年間は一般の労働者として稼動可能であつて、その間生活費を差引き毎年一定の純収入を得べきものであつた。しかして、昭和三四年度全産業労働者の男子平均賃金に関する労働省(労働大臣官房労働統計調査部)の調査結果によつて、光雄が通常の一般労働者として稼動した場合の収入を算定すると、

二〇歳から二四歳までの総収入は 七八一、五〇〇円

二五歳〃 二九歳 〃  〃 一、〇九六、五六〇円

三〇歳〃 三四歳 〃  〃 一、三八七、三八〇円

三五歳〃 三九歳 〃  〃 一、六一一、二四〇円

四〇歳〃 四九歳 〃  〃 三、五九六、〇四〇円

五〇歳〃 五九歳 〃  〃 三、二七〇、二四〇円

合計 一一、七四二、九六〇円

となるが、かりに公課を最大限一五パーセント支払うとすれば右四〇年間における純手取額は九、九八一、五一六円であるところ、衣食住等の生活費は、総理府統計課の調査によると、東京都における一人月平均六、五六二円であるけれども、これを月平均七、〇〇〇円とみれば四〇年間では三、三六〇、〇〇〇円となるから、光雄は、二〇歳から四〇年間には結局七、六八七、六八三円を得べかりしものであつたことになる。そこで、これを六、二四〇、〇〇〇円として、その額からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除すると二、〇八〇、〇〇〇円となつて、この金額が本件死亡により、光雄の喪失した得べかりし利益であるから、光雄は本件事故により少くとも同額の損害賠償請求権を取得した筋合である。

従つて、原告らは、いずれも光雄の直系尊属たる相続人として光雄の取得した右の損害賠償請求権を各自その二分の一の各一、〇四〇、〇〇〇円宛相続したわけであるが、その請求額を各々そのうちの各一、〇〇〇、〇〇〇円とし、さらに原告らが自動車損害賠償保障法に基く光雄に対する損害賠償金二六〇、〇〇〇円を受領していることを考慮して、右の各一、〇〇〇、〇〇〇円からそれぞれ一三〇、〇〇〇円を差引いた各八七〇、〇〇〇円宛を請求することとする。

(二)  慰藉料

原告らには、光雄のほかに大学生の長男と高校生の次男があるが、光雄は学業成績も良好で、原告らはその将来を非常に期待し深い愛情を懐いていただけに、本件不慮の死による失望落胆は甚だ深刻である。原告董においては東華機械製造株式会社の取締役工場長であつて月給三〇、〇〇〇円を得ているが、他方被告会社は資本金五〇〇、〇〇〇円で約一五名の従業員を有し釣用の錘とか猟銃用散弾の薬莢を製造している会社である。また、被告富沢は、本件事故につき業務上過失致死罪に問われ罰金一五、〇〇〇円に処せられてはいるが、被告らはともに本件事故についてなんら精神的慰藉の方法を講じようともせず、極めて不誠意な態度に終始している。以上の諸点を斟酌すると原告らの慰藉料は各二五〇、〇〇〇円とするのが相当である。

五、よつて、原告らは各自被告らに対し相続によつて取得した損害賠償請求権のうちの各八七〇、〇〇〇円と慰藉料各二五〇、〇〇〇円とをそれぞれ合算した各一、一二〇、〇〇〇円およびそれぞれこれに対する損害発生と訴状送達の後の昭和三四年三月一三日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と陳述し、被告らの抗弁に対し、

一、一記載の事実中、事故現場の道路における制限速度が時速三二粁であること、被告富沢運転の三輪車の左前方を先行する第二種原動機付自転車があつたこと、被告ら主張の地点が現在横断歩道として区画線によつて区画されており、光雄が横断した場所は横断歩道でないことはいずれも認める、被告富沢が光雄を含む数人の小学生の集団を発見した地点は知らない、その余の事実は否認する。

右小学生の集団は一旦停止して横断態勢に入つたものであり、前行の自転車は光雄の左側すなわちその背後を通過したのである。

二、二記載の事実は認めない。

三、三記載の事実は争う。

自動車運転者としては、数人の小学生の集団、ことにその集団が同一方向に走つているのを認識した以上は、この集団或いはその一部の者が突如進路の横断をするかもしれないのであるから、その動静には絶えず注意を払い、何時横断せんとする者があつても、直ちに急停車して事故発生を防止するため減速の措置を講ずべき注意義務があるといわなければならないし、殊に本件では、被告富沢は光雄が横断せんとすることを認めているのであるから、請求原因一記載のごとき措置をとらなかつたことは、明らかに同被告の過失である。

と答えた。<立証省略>

被告ら訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、

一、請求原因一記載の事実は認める。但し衝突とあるのは車体の後部が被害者に接触したものである。

二、同二記載の事実中、事故発生の道路の状態、被告富沢が進路左側歩道の縁から車体中心まで約一米五〇糎のところを制限速度である時速約三二粁で自動三輪車を運転進行していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

本件事故の発生は被告富沢にとつては不可抗力であり、同被告の運転上の過失ではない。

三、同四(一)記載の事実中、光雄と原告らの身分関係、光雄の年令の点および原告らが自動車損害賠償保障法に基く光雄に対する損害賠償金二六〇、〇〇〇円を受領していることは認めるが、その余の事実は争う。

死亡により得べかりし利益を喪失したとするためには、死亡当時実収入がなければならないと解すべきであるから、本件の如くなんら実収入のなかつた光雄についてはその利益の喪失は考えられない。原告は実収入がないため平均賃金を損害額算定の基準とするというのであるが、かりに死亡当時の実収入が右平均賃金以下である場合には、実収入を基準とする結果、無収入のため平均賃金を基礎として算出した場合よりも損害額が低くなり、結局事故当時無収入の場合が収入のある場合に比し損害額が高く有利になるという不都合な結果を生ずるのである。

また、かりに、無収入の者にも得べかりし利益の喪失による損害があるとしても、その算定基準としては、平均賃金によるべきでなく、実収入のある場合との均衡上、義務教育を了えた男子の満二〇歳における最低の収入額を基礎とすべきである。

同(二)記載の事実中、原告らの家族関係および原告董の職業収入の点は知らない、被告会社の資本額、営業目的および従業員数ならびに被告富沢が業務上過失致死罪により罰金一五、〇〇〇円に処せられたことは認めるが、その余の事実は争う。

被告会社の資産は本件の自動三輪車が唯一のものであり、営業成績も不良で、例えば昭和三五年度には一、〇〇〇、〇〇〇円程度の欠損を生じている。

と答え、抗弁として、

一、本件事故の発生は、光雄の過失によるものであつて、被告富沢には過失がなく不可抗力である。

(一)  被告富沢は、原告ら主張の頃、約七米前方を同一速度で同一方向に向け進行していた第二種原動機付自転車に追随して、本件の三輪車を運転して時速約三二粁の法定制限速度でその主張の場所を進行中、右三輪車の約一五米前方の左側歩道の中央付近を同一方向に走つて行く光雄を含む数人の小学生の集団を発見したが、子供らに方向転換の気配等が認められなかつたのでそのまま進行を続けたところ、右集団のうち光雄だけが、当該現場から数一〇米南側に区画線によつて区画された横断歩道があるにも拘らず、かかる横断歩道以外の現場で、しかも停止その他横断のための予備動作もせずに走つていた勢のまま、突然方向を転じて自動三輪車の進路上の車道に飛び出して、先行の自転車の通過直後を、かつ自動三輪車の直前約六米前方を斜めに横断したので、これを見た同被告は直ちにブレーキをかけ急停車の措置をとると同時にハンドルを右に切つて避けようとしたが及ばず、光雄を三輪車の左後方の車体に接触させたのである。

(二)  光雄は、事故当日葛飾民衆病院患者控室に備付けられている「テレビ」を観るために原告らの肩書住所の自宅を出たのであるが、本件事故のあつた道路を横断して同病院に行くためには、自宅と病院との位置関係からみて、事故現場から数一〇米南側には明瞭に区画線によつて区画されており従つて光雄にも確認できた横断歩道を通るべきであるのに(これを通るのが実際にも近道であつた)、右のように右歩道以外の所でしかも斜めに横断をなした(道路交通取締法施行令九条違反)うえに、先行の自転車が突然車道に飛び出した光雄をみてハンドルを右に切り光雄の直前を間一髪の差で通過し得たことから考えると、光雄がもし右自転車との接触を避けた地点に一時停止していれば、被告富沢運転の三輪車は右自転車よりさらに一米以上も車道の中央寄りに進行していたので、ハンドルを右に切るまでもなく、きわめて容易に光雄を避けることができたわけであるから、光雄としてはそのままの位置に停止するか又は後退すべきであるのに無暴にも車道に飛び出したときと同一の速度で前方(車道の中央)に駈け出し先行車通過直後の横断をなした(同令一〇条違反)のであつて、光雄の右のような予備、予告動作もなく突然の、しかも法規違反による横断行為が本件事故の唯一の原因である。

(三)  他方被告富沢にはなんらの過失わない。すなわち、

自動車運転者は、その運転につき一方的に過重な注意義務を負うものではなく、通行人においても交通法規を守り、自己の生命身体を保護するため自ら適切な行動を措るべき注意義務があるから、通行人がかかる適切な行動を採るものと期待してよいわけであつて、従つて通行人が交通法規を遵守せず突然予想外の行為にでることまでも考慮に入れて運転をなすべき高度の注意義務を負うものではない。そこで、本件現場のように、歩車道が整然と区別されており、かつ直線道路のために見透のよい歩道上の通行人が先行の原動機付自転車の警音器の音や右の自転車および被告富沢運転の三輪車のへツドライトの照射により車の近接を知りながら、交通法規を無視して横断歩道以外の箇所を横断のための一時停止その他の予告予備動作もしないで突然方向転換して先行の自転車の通過直後を斜めに車道に飛び出すようなことは通常予想し難いところであるから、自動車運転者がかかる危険までも考慮に入れて、歩道に後向きの通行人を発見するたびに減速したり一時停止の措置をとる義務はないわけであつて、光雄においても、事故当時満一一歳の小学生で一般的知能の発達の程度からみて自動車交通の危険性については相当高度の判断力を有していたと推察され(ことに、原告ら主張のように学業成績が優れていれば一層のことである)、光雄を除く他の子供達がすべて交通法規を守つて行動していることを考えると、同被告が光雄も他の子供達と同一行動をとり危険防止のため適切な行動をなすものと期待することは当然であり、光雄が突然右のような無暴な行為に出るとは予想し難いところであるから、他に特段の事情のない本件では、減速又は一時停車の処置を講じなくとも過失はないといわなければならない。

二、かりに、被告富沢に過失があるとしても、光雄はその年令知能の発達程度からみて既に自己の行為を弁識するに足りる能力を具えていた責任能力者と認められ、そうでないとしても、少くとも右のような危険の発生を避けるのに必要な程度の注意能力を有していたにも拘らず、不注意にも前記のような無暴な法規違反行為をなし、本件事故を招来したのであるから、本件損害額の算定につきその過失の程度が斟酌さるべきである。

と述べた。<立証省略>

理由

一、被告富沢が被告会社に雇われているもので昭和三三年一一月二六日午後六時二〇分頃被告会社の業務の遂行としてその所有の自動三輪車を運転して東京都葛飾区堀切町一九一番地先道路を四ツ木橋方面から下千葉方面に向かつて進行中、折から右道路を横断しようとした山岡光雄(昭和二二年一〇月二二日生)にその車体の後部が接触し、同人が脳挫傷の傷害を負い、そのため同月二九日同区堀切町一九〇番地葛飾民衆病院において死亡したことは当事者間に争いがない。

二、よつて、被告富沢の過失の有無につき検討する。

(一)  右の事故発生の道路は、見透しの利く直線道路で、歩車道の区別があり、車道は巾員約一一米のアスハルト舗装道路で、左右の各歩道は車道よりも約一四糎高く巾員約三米五〇糎の道路であるが、同被告は進路左側歩道縁から車体中心まで約一米五〇糎離れて時速三二粁の法定制限速度で、進行していたことは当事者間に争いがない。

そして成立に争いがない乙第一ないし第三号証と証人石田勇左衛門、同石田武治の証言及び被告富沢良光の本人尋問の結果(但し後記措信しない部分を除く)を総合すれば、被告富沢が右のように進行していた際その前方を少しばかり左側歩道寄りに同一方向に向つて、石田武治運転の第二種原動機付自転車が時速約三〇粁の速度で進行していたのであるが、事故現場に差しかかる際その距離は一〇米位であつたこと、石田武治は、その進路の約二〇数米前方の左側歩道の中央付近を被害者光雄を含む数人の子供らが相前後して一団となり事故現場の手前を同一方向に急いで走つて行くのを目撃し被告富沢もその頃右の一団を見て間もなくその先頭を走つていた光雄が車道の安全を確めることなく、突然右自転車の前方約四米の至近距離で道路縁から一米位車道に駈け出し自転車の進路を横断しようとしたので、石田は突嗟に警音器を鳴らし、制動をかけ、ハンドルを右に切つて、光雄が自転車の接近を知つてその場に停止した瞬間光雄の約一米前方を通過して危く衝突を避けたこと、被告富沢は光雄が車道路上に飛び出したのに気付かず右前行自転車が光雄を回避した際、始めて一〇米位先の進路上の光雄を発見し危険を感じたけれども光雄がその場に待避するものと軽信し、急停車とか警音器を鳴らすとか急ぎハンドルを右に切つてこれを回避するとかの措置を講ずることをなさず僅かに進路を右に避け、そのまま漫然光雄の前方を通過しようとしたため、なおも横断を継続しようとする光雄との距離が益々接近するに及び狼狽し、更にハンドルを右に切り急制動をかけようとしたが、光雄を避け得ず車道の中央線附近で車体後方を光雄に接触させて同人をはね飛ばし同所から約一三米も進行し右側歩道と車道の境にある街燈に右バツクミラーを衝突させ、その震動で街燈の蔽を落下させて破壊し、漸く停車したことが認められる。

被告らは右事故は光雄が突然車道上に飛び出したのが原因であつて、至近距離であるため衝突を避けることができない不可抗力であると抗争する。

そして被告富沢本人はその操縦の自動車と先行の自転車との距離は数米であつて、同被告が光雄を回避した自転車を見て同人を道路上に発見した距離はそれ以下であり、したがつて同人を回避する余裕はなかつた趣旨に供述する。

しかしながら前記のように自転車が光雄を回避した地点は車道上左側歩道から一米位のところであるから衝突地点まで光雄は約四米(左側車道の幅員が五、五米であることは前記争のないところであり、なお光雄が左前方に進行したとすれば、それ以上となる)進行したことになり、光雄の走行速度(当時一一年)に比べ被告富沢操縦の自動車の速度が遥に速いことと、光雄は前記のように自転車を回避するため一旦停止の状態にあつたことから併せ考えると、被告富沢が右光雄の回避を目撃してから僅か数米進行して光雄と衝突したとはとても推論できないところであり、したがつてその目撃後光雄が四米程前進する間に何等の措置が採り得られない程至近距離であつた趣旨の被告富沢本人の供述は措信できない。

次に被告富沢本人は右の光雄を目撃して急拠急停車とハンドルを右に切る措置を講じたと供述する。

しかしながら前掲石田勇左衛門の証言により接触前の被告富沢の進路にはスリツプの跡が発見できなかつたことが認められる事実と前記のように被告富沢が右目撃後一〇米位進行して光雄に接触し、これをはね飛ばし更に一〇米余進行して停止した事跡および同被告本人の供述により接触後急停車に努め、進行を継続したものでない事実に照し接触当時前記走行速度がさ程減速されていたとは推認できないところであり、また被告富沢が光雄の自転車を回避したのを目撃したときの自動車の位置は、前記認定事実に照し、左側車道のほぼ中央線(同被告本人もその趣旨に供述する)と見るべきであるから、衝突まで一〇米余進行する間に右側に回避した幅員は二、八米位に過ぎないので、ハンドルを急に右に切つたとは認め難いし、また反対車道からの進行車等のためその措置が採り得られなかつた主張と資料のない本件では、急拠ハンドルを右に切る余裕のない程反対車道の危険が迫つていたとも認め難いところである。よつてこの点に関する同被告本人の供述も信を措き難いところである。

そして同被告が右目撃直後前記認定のような措置を採つていたならば、本件接触を避け得たものと推測し得るところであるから、被告らの不可抗力の主張は理由がない。

(二)  ところで、右認定のように、一一才位の児童が歩道から車道に出て進路前方を横断しようとする場合には、自動車運転者は常に前方を注視して直ちにこれを発見し衝突を避けるため警嗚器を嗚らすとか急停車その他機宜に応じた処置をなすべき注意義務があるところ、被告富沢は児童が道路上に進出したことの発見が遅れ、これを目撃した直後急拠右のような措置を取らず児童の動静の注視を怠り、その前方を通過できるものと軽信して進行を続けたのは、過失があるといわざるを得ない。

三、光雄の死は、右のように被告富沢の過失によるのであるから、同被告は民法第七〇九条により、また右事故は、被告会社の業務の遂行としての運転中に惹起されたものであるから、同会社は自動車損害賠償保障法第三条に基きき、それぞれ光雄の死によつて生じた下記の損害を賠償する責任がある。

四、そこで損害額につき判断する。

(一)  光雄は、本件事故当時一一才一ケ月余の男子であつたことは当事者間に争いがなく、かつ原告薫の供述によれば、極めて健康であつたことが明らかであるから、経験則に照らし、本件事故がなければ、光雄はなお五四年間余の平均余命があり、二〇才から四〇年間は少くとも通常の一般労働者として稼働可能であると推定される。

そして、成立に争いがない甲第三号証の労働大臣官房労働統計調査部編算の「昭和三四年、賃金構造基本調査結果報告書第一巻」の全産業労働者の男子平均賃金の算定を基礎として、二〇才から五九才までの男子労働者の給与額を算出すると、合計一一、七四二、九六〇円となり、これに対する公課を原告ら主張のとおり一五パーセントと見積ると、右四〇年間におけるその純手取額は少くとも九、九八一、五一六円であるが、一方総理府統計局編集の日本統計年鑑(昭和三五年度版三七二頁)の昭和三三年度勤労者世帯平均一ケ月間の収支欄記載の東京都における世帯員四、四四人の食費住居費光熱費等の生活費は合計三三、五四九円であるので、これを基礎として計算すると、一人当りの生活費は、月平均七、五五六円(原告らは東京都における一人当りの月平均生活費は最大限七、〇〇〇円と主張するが、これを認めるべき証拠はなにもない)であり、従つて四〇年間では合計三、六二六、八八〇円となるから、結局右四〇年間の得べかりし純収入は六、三五四、六三六円であることが明らかであつて、他にみるべき特段の事情の窺われない本件においては、光雄においても、右稼働期間中には右同額の純収入を得べかりしものと推認するのが相当であるから、この得べかりし利益を原告らの主張の限度の六、二四〇、〇〇〇円を基準として、その現在価格をホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除すると二、〇八〇、〇〇〇円となり、従つて右同額が光雄の得べかりし利益の喪失による損害となるわけである。この点に関する被告らの見解は当裁判所の採用しないところである。

ところで、被告らは、本件事故発生につき、光雄にもなんら予告動作もなく交通法規を無視し、突然に横断行為をなした過失がある旨主張する。本件全証拠によつても、被告ら主張の箇所が事故当時特に被告ら主張のように区劃線によつて区劃され光雄にも横断歩道と知り得る状態となつていたことは認め難いけれども、前出乙第一号証により認められる光雄は、テレビを早く観ようとして急ぐあまり、車道の交通状態を確めることなく、慢然と車道に駈け出したため本件事故を惹起するに至つたものであり、もし車道にでる前にその交通の状況に注意さえしていれば、かかる事故が発生することのなかつたことはさきに認定したところにより明白であるところ、光雄は、当時一一才一ケ月余であつたことは前記のとおりであり、かつ原告薫の供述によれば、当時小学校五年在学中で学業成績が良好であつたことが明らかであつて、その年令、知能の発達状態からみれば車道を横切る際(ことに、前示乙第二号証によると、本件事故現場付近は平素かなり交通頻繁な所であり、かつ原告薫の供述によれば、光雄はこの附近を通りなれていたことが認められるから、光雄においては右交通の状態を当然了知していたものと推察される)、歩道から突然車道に飛び出るにおいては、いかなる危険を生ずるかも計りしれないから、左右の交通の危険の有無を確め、もつて危険発生を防止するだけの注意能力は充分有しているものと認められ、しかもわずかな注意を尽すことによつて容易に事故を避け得たのであるから、光雄にも重大な過失があるといわなければならない。

そこで、光雄の右過失の程度を参酌するときは、光雄が請求できる賠償額は六〇〇、〇〇〇円と認めるのを相当とするところ、原告らは、光雄の両親であつて、本件事故による自動車損害賠償法に基く光雄に対する賠償金二六〇、〇〇〇円を受領していることは当事者間に争いがないから、光雄の右の賠償額はさらに二六〇、〇〇〇円を控除した額、すなわち三四〇、〇〇〇円に減縮されることになり、従つて、原告らは右損害賠償債権三四〇、〇〇〇円を各自二分の一の一七〇、〇〇〇宛円相続したというべきである。

(二)  つぎに、原告らは、両親として、光雄の不慮の死によつて精神的苦痛を蒙つたことは想像に難くないところ、原告らには、光雄の他に一九才になる大学生の長男と高校生の一六才の次男の子供があるが、光雄は前記のように極めて健康な学業成績良好の子供であつただけに、原告らの光雄に対する期待が甚だ深いものであつたことは原告薫の供述により明らかでありさらに同供述によると、原告薫は会社に勤め、その給与は月収三〇、〇〇〇円位であつて、他に資産なく、原告らの家計は主として右の収入によつて賄われていることが認められ、他方被告会社は従業員約一五名で資本金五〇〇、〇〇〇円の釣用錘、猟銃用散弾の薬莢を製造している会社であることは当事者間に争いがなく、その営業成績が普通であることは原告薫の供述によつて認定でき、被告富沢の供述によれば、同被告は母と二人暮で一ケ月一四、〇〇〇円前後の収入でその他に資産等を有していないことが判り、かつ原告薫と被告富沢の各供述に徴すれば、同被告は香典として五、〇〇〇円を贈つたほか罰金一五、〇〇〇円の刑事処分を受け(この点は当事者間に争いがない)、被告会社は香典名義で一二、〇〇〇円を供えたのみで損害の解決等につき誠意を示していないことが認定され、これらの各事実と前示加害の態様、光雄の過失の程度等諸般の事情を斟酌すると被告らは各自原告らに対しその苦痛を慰藉するため各八〇、〇〇〇円を賠償するのが相当であると認める。

五、してみると、被告らは各自原告らに対し相続によつて取得した損害賠償債権各一七〇、〇〇〇円と各慰藉料八〇、〇〇〇円とをそれぞれ合算した各二五〇、〇〇〇円およびそれぞれこれに対する本件損害の発生後である昭和三四年三月一三日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるというべきであるから、原告らの本訴請求は右限度においては正当としてこれを認容し、その余の部分は失当としてこれを棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 園田治 山之内一夫)

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